「イシクニズム」 Vol.25
駒形堂
当社本社ビルのほど近いところに駒形橋がある。その駒形橋を渡った右側に駒形堂が建っている。
西暦628年(推古天皇36年)、宮戸川(現在の隅田川)で漁をしていた檜前浜成、竹成兄弟が、投げた網の中に尊像が入っていたとして持ち帰った。翌日10人の童子が藁で作ったお堂を建て、その尊像を祀ったとされる。この藁で作ったお堂が現在の駒形堂である。
土地の長である土師中知がこの尊像は聖観音菩薩と知り、私邸を寺に改め観音像を安置したとされている。この寺が後の浅草寺とされている。すなわち駒形堂は浅草寺発祥の霊地に建つ堂である。
駒形堂の名前の由来は隅田川に住む魚類に対する愛護の必要から、生物の守護仏である馬頭観音を祀り、心願成就のお礼として馬形の作り物を奉納したことが由来とされている。
住所表記の台東区駒形や当社のある墨田区東駒形、その両地を結ぶ駒形橋はこの駒形堂からきているのではないかと推察している。ただ、現在の駒形堂が建っている場所の住所は台東区雷門である。
私が小さい頃は公園もあまり整備されていなかったため、この駒形堂の境内で缶蹴りなどをしてよく遊んだ。私が住んでいた家から駒形堂迄は歩いて5分くらいであったが、それでも隅田川を渡り台東区の公園で遊ぶというのは勇気が必要だった。小学生であったため何かと縄張りのようなものが存在していた。墨田区の人は墨田区で遊べと一部の台東区の小学生に言われたことがあった。その時、名前は覚えていないが台東区の6年生が「つまらないことを言うな、墨田区の人も一緒に遊ぼう」と言ってくれて駒形堂で遊べるようになった。粋とはこういうことかと粋の事がよくわからないまま感じたことを覚えている。
2003年(平成15年)に現在のお堂に建て替えられた。先代石田康國は建て替えに際し建て替え費用の一部を寄進した。境内に入る正面階段の右側に石田康國の名が刻まれている。東京メトロ銀座線、東武スカイツリーライン・伊勢崎線浅草駅から当社に来る途中この前を通る。
先代の名前を見るたび先代に思いを馳せることが出来る。
by Kunihisa Ishida