
「イシクニズム」 Vol.29
24時間戦えますか?
先月誕生日を迎え59歳になりました。
1960年代生まれを称して「新人類」と呼ぶらしいです。そして1965年から1969年生まれを「バブル世代」と呼ぶようです。
つまり私は「新人類」であり「バブル世代」ということになります。
平成元年に社会人になった私は確かに先輩から「新人類」と呼ばれていたことを記憶しています。
そんな時は先輩を「石器時代」、部長を「旧石器時代」と心の中で呟いていました。
「新人類」とは、経済人類学者の栗本慎一郎氏の造語で、高度経済成長期と子ども時代が重なるため、ある程度満たされた世代であり、学生運動に興味がなく、政治的な熱が冷めた世代ということらしいです。
戦中世代や戦後のモノ不足を知る世代からは、「忍耐力がない」「甘えている」「常識が通じない」と揶揄された世代ということらしいです。
そんな私も60歳近くとなり今の若者がよく分からず「新人類」と揶揄したくなる気持ちがよく分かるようになりました。
平成元年入社ですので世はまさにバブル景気真っただ中でした。
あまり景気に左右されない職種の会社でしたが、それでも影響はありました。
部署によってはタクシーチケットをバンバン使えたり、毎晩のように接待と称する飲み会が開かれたり、ゴルフ場をいくつも作ったりと、今考えると不思議な時間であったと思います。
持っている資産価値は上がり、給与を全て使い果たしても大丈夫という何の根拠もない安心感がありました。
何かをしていることが楽しくて、それが仕事でもプライベートでも関係なく活動しているということに価値があったと思います。
午前2~3時まで飲み歩いても、朝の8:30にはちゃんと会社にいて仕事が出来ていたと記憶しています。正に24時間楽しんで暮らしていました。
「24時間戦えますか?」というフレーズに全く違和感を持たず、ただ突っ走っていた時期だったと思います。
当然若かったからでもあります。
20代の青年に今とバブル時代とどっちが幸せですかと問われました。
考えたこともなかったので即答できずに考え込んでしまいました。
結論はどちらかではく、どちらも幸せと思えるように生きてきたと答えました。
バブル景気のおかげで、なかなか経験できないことも沢山させて貰いました。
海外出張や個人のお金では行けないような料理店での接待や多額の予算のついたプロジェクトなど。
それらの経験は今ではとても貴重な財産となっています。
一方で勤務時間外も仕事の付き合いで縛られることに嫌悪感のある人は辛かったのではと想像がつきます。
多分幸せは世の中の状況によって感じるものではなく、自分の考えに起因するものではないでしょうか?
そんなことを考えつつ、もう24時間は戦えないと自覚している今日です。
by Kunihisa Ishida