
「イシクニズム」 Vol.30
東京大空襲
3月10日は東京大空襲があった日です。
1945年3月10日にアメリカの航空軍によって実施されました。
東京都区部に対して焼夷弾を用いた大規模な無差別殺戮が行われ、この一日で罹災者は100万人を超え、確認された死者は約9万5000人以上と記録されています。
実は1944年11月24日から1945年8月15日の終戦までに実に106回もの空襲を受けたそうです。
特に大規模だったのが1945年3月10日、4月13日、4月15日、5月24日、5月25日の5回もあったそうです。
あれから80年たった今でも不発弾が見つかったというニュースを耳にすると、どれだけの数の焼夷弾が降らされたのかと戦慄を覚えます。
1945年は先代石田康國が16歳の年です。
8人兄弟の3番目で最初の男の子でした。長女、康國、次男以外は新潟や埼玉、東北地方に疎開していたそうです。
生前、康國は戦争について多くを語りませんでした。
一度だけ学校から戦争の話を聞くという課題が出されたときにしっかりと話をしてくれました。
淡々と事実だけを話す康國言葉は当時小学生であった私には衝撃であり絵空事のように聞こえていました。
「3月10日空襲警報が鳴り、たまたま北の方にある隅田公園に逃げたら助かった。南にある震災記念堂に逃げていたら全滅だった。」という話は運命とか奇跡とか色々なことを考えさせられました。
震災記念堂に逃げて亡くなった方の無念や不運を思うと唯々胸が痛みました。
当社も東京大空襲で全焼したと聞いています。
1923年9月1日の関東大震災で1度全焼し、東京大空襲で2度目の全焼となったようです。
2度の全焼で戦前の資料が殆ど残っていないのが非常に残念です。
それにしても2回の全焼からよく立ち直ったものです。
先々代國三郎の不屈の闘志とそれを支えた当時の従業員・取引先・家族には頭が下がる思いです。
最近世界ではきな臭い事があちこちで起きています。
東京大空襲から80年目の今、改めて全員を不幸にする戦争が2度と起きないよう、笑顔を作る会社の社長として微力ながら考え行動したいと思います。
by Kunihisa Ishida