「イシクニズム」 Vol.23
時計バンドの本質と存在理由 その2
Vol.22(前回の記事に飛びます。)から引き続き先代石田康國が1971年(昭和46年)に書いた考察の続きを掲載したい。
「時計が否定されるならば、いわんや時計バンドにおいておやで、時計バンドの存在理由は未来において消滅する。
しかし、そのような未来までの過程に長時間要することも考えられるし、ここで悲観するのはまだ早すぎる。
確かに現在まで、狭義の時計バンドについて論じているのであり、その使命は、早番終わるにせよ、各種の情報機器が小型化され、身近に必要となるのも必然で、その時視聴覚に訴えるのに便利、且、簡単な場所が腕であるとの命題が生きている限り、「情報機器の腕バンド」としての未来はまた開けてくる。
これは未来に対する予見であるが、情報過多の時代は上記論法に不備をみ、反論を唱える。
即ち、「現代は、最早機能により感覚を買う消費新時代に移ったのだ。その証拠に新しい世代の登場と、新しい価値観の出現を見てみたまえ。
変容を物語るいくつかの対照的な熟語として、
〇 男尊女卑 → 男女同権 → 女性上位
〇 先憂後楽 → 刹那的享楽 → 未来先取り
〇 禁欲主義 → セックスの開放 → フリーセックス
〇 ぜいたくは敵 → ファッション革命 → くじゃく革命
〇 質実剛健 → カッコよさ
〇 お国のため → 会社のため → マイホーム主義(働きがい)
等々拾えるだろう。
時計(主体)+時計バンド(部品)→時計バンド(主体)+時計(備品)の価値変化すら現代進行中の事ではないのか。」と。
この恐い論法は、現在と数年先位迄にしぼって考える時、私自身時計バンド斜陽の折からうれしい話として、さらに熟考してみたくなるが、何故か決定的な判断は下せそうにない。
話は戻り、勿論「時計バンド」は脱皮し、「情報機器バンド」となってその存在理由が高められたとき、その本体を作るのは誰か、そこから利益を受けとるのは誰か。どんな方法でか、あるいは、その流通販路はどう定まるのかといった事柄は現在の論議の対象ではない。
誰未来においてその存在価値が高まることを信じて、その時により価値ある恩恵に浴することのできるよう、あらゆる角度から現代を考える事こそ大切であろう。」
2024.3.20発売 ROCOTTEカーム
東京時計附属品貴金属装身具商工業協同組合発行
「時計バンド業界五十年史」より
by Kunihisa Ishida